中欧暮らしの、わたし時間

海外生活と編みもの、スキンケア、読書備忘録、時々海賊。

ただいま、はてなブログ

こんにちは!以前のブログエントリーで海外で無職になったことについてブログを書いた記憶があります。

たしかコロナの影響を受けて自分の体験したことを、同じような体験をした人に向けて共有したかったのです。正直言えば、失業なんて人に言いにくいこともあり、いきおいで書いたものでした。

 

それ以降、しばらくこのブログを訪れてませんでしたが、このコロナが長引く中、次第にこれまで目に見えてこなかった汚職、不正、信頼を失うような悲しいニュースがこの2年の間目立ってきました。

 

はてなに戻ったきっかけ

経済的に苦しい状況というのはさまざまな異例の(異例のように見える)状況をこの世に落としました。しかし現在その多くがメディアで可視化されているのにも関わらず、目に見えてこなかったあの頃とほとんど変わらない自分がいるのです。事実を直視した直後は悲しみや怒りを覚えるのですが、どうしようもない無力感からすぐにそれを自分の瞼で覆い隠す、それはその問題たちを追求するほどまでの知識を私たちが持ち合わせていないからかもしれません。

知識が自分に無いときは、専門家の意見を参照することもできれば、スピリチュアルな解説を求めにいくこともできます。または、ネットそのことについて話しているプラットフォームを見つけて知る、など。

 

それでも、腑に落ちないときは皆さんはどうしますか?

瞼をふせて、次!次!と先にある日常に目を奪われますか。

 

私の場合の話をします。

私は日本語で書かれている記事や本の情報のプールから飛び出そうかな、と考えます。別の言語圏では類似した社会問題に関してどんな記述がすでにあるのか、その情報を参照する、という意味です。

もちろん能動的に必要な知識をつかむのは一筋縄ではいかなく、それなりの言語力は必須だし、むしろより役に立つのは受動的に情報をキャッチするアンテナを持っていることが、実際のところ重要な役割を果たすのものです。

ただ、現代社会に生きる人間であれば、少ない自分の時間を物事を咀嚼・吟味すること、物事に対して敏感であり続けることに費やすというのはなかなか難しいこと。

 

言葉が意思疎通の手段であり、情報を伝える機能を果たしているという点から推測すると、情報の量や多様性というのはその伝達する言語に依存しています。そしてそれが同じ言語を話す社会の知識の幅に直結して結びついているのは想像できますね。

 

今後の展望

そこで私が読んでいる論文や学術本の一部をこのブログで紹介して、私なりに理解した内容を記事にしていきたいと思っています。私が扱う分野は主に社会学の書籍に重点が置かれており、おそらく日本語に翻訳されていないものもあるかもしれません。

とはいえ、日本語で出版がまだされていないという点が醍醐味だとも思います。まだ日本語で共有されていない知識をこのブログを通して一緒に考え、社会を見る目を養っていけたらうれしいです。

私自身は何も発信力もないし、特に頭がいいわけでもなく、話下手でもあるのですが、英語、ドイツ語の論文を読むことができます。

 

これまで、論文なんて読んでこなかった、という方もご心配なく。

学術の分野というのは基本、たとえ興味関心があってたとしても、話が難しく感じる学術表現やまた言語の違いによってなかなかその中身が一般に理解されにくいという面も持ち合わせています。だから苦手意識を持つのも当然なのです。

ブログのいいところは、難しい表現よりも易しい表現が評価される点。私もできる限りわかりやすい表現にかみ砕いて記事を書いていこうと思います。

 

P.S. このブログは社会学の記事に特化しているわけではないので、温かくその他の趣味の記事も一緒に読んでいただけたら嬉しいです。それでは、次回の投稿でまた会いましょう。