中欧暮らしの、わたし時間

海外生活と編みもの、スキンケア、読書備忘録、時々海賊。

ウクライナのともだち

私の海外生活が始まった当初、積極的にいろんな友達と出会い、輪が広げ、半ばむりやり社交の場に自分を繰り出させようとしたときがあった。

 

その当時、見知らぬ土地にはやくなじめるように。移住する社会で浮かないように。ほかの同時期に移住した人たちよりも早く新参者のような気持ちから抜けたいとそんな何に対する対抗心かもわからず、切羽詰まったおもいを胸に抱いていた。

 

しかしそれもいつからか徒労になり、

 

しばらく人と会うことを控えた時期が来る。

 

そうしたとき大学で出会ったのが、今一番の友達であるウクライナの女の子。私よりも前にウクライナから同じ街に移住した子。

彼女の第一印象は、ほっそりとしていて、小さい顔のあご下からぱつんと切れた髪。昔のツィッギーを思わせるような亜麻色のショートボブがよく似合っていて、それでいてあだやかな優しい目を細縁眼鏡の下にのぞかせていた。

 

偶然その子と大学内での調査やプレゼンのペアになったことで、授業とは別に二人で集まる機会ができ、事務的な話以外にもプライべートな話をするようになった。

なんせ言語もその土地の世間の見地も初心者の状態からはやく抜け出たしたいと思っていた私は、ある種勢いあまって見栄も張っていた部分があった。だから実際には右も左もまだよくわかってなかったのだ。

 

そんな私に彼女は真正面から「わからないことがあれば、なんでも話して」と真剣で優しい口調で諭され、私の初歩的な質問を冷笑することもなく説明してくれる彼女に私は大きな信頼を抱いた。

 

彼女の出身地ウクライナと日本の文化についても最初はよく話した。

そして遠く離れた両国にも共通点があるのを見つけた。

例えば、日本の東日本大震災とウクライナのチェルノブイリ。原子力発電の負の歴史をもつ国であること。

海外の学校ではあまり学校制服はないのだが、ウクライナの学校にはよく制服がある、ということだとか。お互いの制服のイラストを紙に書いて見せたりもした。

 

そしてなによりも、私のつたないドイツ語を言葉どおり受け止めるだけでなく、その行間を読むように私の意図するところも理解してくれたように感じた。

 

そういうことができる人ってどこの国でもなかなかいない。

これは個人的な話だが、私は言葉に対して幾分ひとより繊細に反応してしまう。

おそらく相手は深く考えず発言した思慮の欠けた言葉を、私は自分の意志とは関係なく何回も繰り返し受け止めてしまう。相手の悪意を勘ぐってしまう。そうして怖くて発言ができなくなってしまう私の弱いところが嫌いだった。

 

でも彼女にはそういう恐れを抱かなかったし、大きな安心感を感じていた。

 

 

 

今回のウクライナ情勢を聞いて、最悪の方向にことが進んでしまったことに他人事ではないくらい心がいたい。どんどん更新されていくウクライナとロシアの様子に気持ちが追い付かず空っぽになってしまう。

友達の故郷がキエフだってことも知っているし、両親もそこにいるっていうのをしっている私は気が気でなかった。彼女に連絡すると両親と祖父母がポーランドに移動しているとはなしてたけれど、人が渋滞して時間がかかるよう。

 

ポーランドの受け入れにもキャパシティがあるだろうし、さらに隣国にまで来れるようなら国境まで車に迎えに行って一家族とめられる場所を確保しようと私のパートナーはしてくれている。運転免許も持たない私ができるのは彼らのための生活上の日用品を準備することくらいしか思いつかなくて。戦争を目の前にした自分の無力さに途方に暮れる。